ぱぴぷぺ_ぽきぷし通信

過去関心 Poughkeepsie の日記(バスケ式+)

「そもそも、貴官が、それを語って何の意味があるのか」

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「田母神論稿」は、2つの意味において「賢明さ」を備えてはいなかった。

第1には、
 〜 何故、歴史認識の開陳が行われたのであろうか。こうした歴史認識の開陳は、政治(活動)家や歴史家、あるいは思想家ならば手掛けるかもしれないけれども、航空軍事組織の総帥としての職務とは、全く関係のないものである。〜

 〜 阿南惟幾には、二・二六事件の折、陸軍幼年学校校長として全校生徒を集め、「農民の救済を唱え政治の改革を叫ばんとする者は、先ず軍服を脱ぎ然る後に行え」と厳しく訓示したという挿話が伝えられている。『軍人勅諭』にも「世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り…」という訓戒がある。「田母神論稿」は、武官としての「本分」からも疑義のあるものではなかったか。〜

第2には、
 〜「軍事を語る人々=軍国主義者・右翼」といった従来からのステレオタイプを補強するものになるかもしれない。〜 筆者は、この論稿を内心、歓迎したのは、旧来の平和主義者層や「進歩・左翼」知識層ではなかったかと想像する。〜

まとめ(笑)
 〜 凡そ、「本分」を弁えない論稿や発言は、それに共鳴する人々からは「正しい議論」と評されたとしても、決して「賢明な議論」とはなりえない。〜
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以上、わしゃ、淳ちゃんに激しく同意。

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