ぱぴぷぺ_ぽきぷし通信

過去関心 Poughkeepsie の日記(バスケ式+)

安全・安心ばかりでは子どもは育たない

NHK教育ETV特集を面白く見た。
  「里山保育が子どもを変える」

千葉県の木更津社会館保育園(私立)の宮崎栄樹さん、愛嬌のある園長だ。
「いきいきした子供が少なくなった」ことに危機感を募らせ「里山保育」取り組み始めた。

『子供たちは泥だらけになって、けがをしたり、けんかをしたりしながら遊びに熱中してこそ健全に育つ』

その考えに賛同した親たちが、迷いながらも我が子を託している。
「他の園も見て回ったが自分の子供時代を思い出しここへ入れたかった。『アソコはだめ!泥を食わす。怪我をする。』と家族や親の猛反対を押し切って(笑)」
「 最初はこの(汚してきた服の)泥どうするんだと思ったし、迷いもあった。その内子どもの笑顔が違ってきたのに気がつき、病気をしなくなり元気になった。」
木更津という地の利もあるだろうが、大都会ではまねできない贅沢な環境だ。

毎朝2kmの散歩から保育が始まる。(手を引かれながら0歳児も!)
園舎にお仕着せの遊具はない。
あるのはドラム缶や送電線ケーブルのリール、鉄骨の櫓などみな手作り。
遊びは自分たちで勝手に考える。
余程の危険で無い限り保育士も止めない。
小さなけがは日常茶飯事。
手を切って痛い思いをしながらも、4歳児から包丁の使い方を覚える。
自分たちのお昼の味噌汁の具の野菜を器用に切っている。

あったかい季節になると庭には水が張られる。
そして一緒になってどろんこ遊び。
子どもたちはパンツ一丁で思い切り駆け回る。
多少汚くとも心を解放し免疫力を高めるという考えだそうだ。

園長曰く
「マシュマロのようなふわふわの世界ばかりでいいのか。ちょっと油断すると危ないとか、汚いところをくぐり抜けないとまっとうなセンサーが育たない。」
「『はだか』になるということは、心を自然に向けて友達に向けて解放するということ。それは自分を他人を世界を受けいれるということ・・・」

5歳児の年長組になると、年間60日程3km先の里山へ歩いて通う。
目指す園舎は、買い取った農家だ。

そこには里山をよく知るニホンザル研究家の直井洋司さんという指導者がいる。

子供たちは山道を駆け回り転がり遊ぶ。畦は飛び越す。
落っこちて泣く女の子もいる、背中が濡れ惨めな気持ちで涙がでる・・・。

 みんなの行列について行かず、一人取り残されている。

他のみんなはずんずん先へ進んでいく。
と、仲良しの子が迎えに戻ってくる。
 「一緒に行こう」
保育士はそれを遠巻きに見ている。

着くとまずたき火を焚く。
自分たちで昼ご飯もつくるためだ。
その日のお昼は、アルミホイルででっかいホットケーキを焼いた。
農家から畑を借り、教わりながらジャガイモなどを自分たちで植える。
でっかく育ったキュウリは丸かじり。
同じものをみんなが分けあって食べる。
まだ食べてない子の分を残しながら順番に食べる。

春になると休耕田に水を張ってどろんこ遊び。
そして農家の人や臨時にお父さんたちも参加して一緒に田植え。
これから一年かけて稲を育てる。
秋には総出で鎌を使って刈り取り、それを炊いてお昼ご飯。

竹林では棒のぼり。
窪地に架けた丸太を、おっかなびっくりで渡りきるのが卒園の儀式だ。

けんかも日常茶飯事、でも保育士は状況を見守るが安易に「おとなの口」を挟まない。
それを繰り返すうち子供たち自身が、自分なりのひと付き合い(大げさに言えば社会性を)を学んで行く。

私のガキ時分周りは里山ではなかったが、それでもまだ田んぼがあり「原っぱが遊び場」な環境があった。
同じような経験はあったことを思い出す。
今では貴重な里山の自然の中で、頭ではなく体で覚える感覚。
将来彼らの貴重な体験となるだろう。

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「僧侶で園長の宮崎栄樹さん(58)は『けがをしたり泥だらけになったり、時には友達と喧嘩をしながら遊びに熱中してこそ子供は健全に育つ』と考え、藪や崖ときには蜂やマムシなどの危険も潜む里山で保育をしているのだ。宮崎さんが「里山保育」を提案した8年前、ほとんどの保育士たちが「危険すぎる」「時代に合わない」と反対した。しかし、里山で過ごす子供達の変化を見て、反対の声はしだいに消えていった。森は危ない場所であると同時に楽しい場所でもある。困難を乗り越えながら自信をつけた子供たちの表情は生き生きしてくる。」