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ぱぴぷぺ_ぽきぷし通信

過去関心 Poughkeepsie の日記(バスケ式+)

「自分免許」

もう一周忌かというのが実感
実際には八月八日なのだが諸般の事情により前倒しで本日無事執り行なった

よく、逝った実感がわかないと聞くけど本当ですね
死んでもうこの世には居なくって、会えるのは記憶の中だけなのは判っているのに

が、一周忌とはよくしたもので、ここに来てやっと「あぁもういないんだ」なと感じるような出来事があった

というのも、先日外に連れ出そうと母のところに寄った時のこと
家族の古い写真を一切合財置いている理由は以前書いたが、ふと例のアルバムが目に入ったので、ぱらりとめくった際、父にしては希少な満面の笑顔が目に入った
遺影に選んだそれは、これまで「よくぞこんないい笑顔が撮れたな」くらいにしか思わなかったのに、今回突如胸にこみ上げるものがあり、涙が止まらない

哀しみの深さは故人からかけられた愛情の深さによるらしい

しばらく母の居室で一人気を静め、やっと彼女と家人が待つエレベーター前へ
戻りが遅い訳は、泣きはらした眼もとで家人は解ってくれていた

よく映画やTVドラマでは臨終に立ち会う場面が構成されるが、実際に立ち会えるのは稀だろう
そして家人曰く、それがもがき苦しむ姿だったりするとそれはもうとてもとても・・・辛くて見ていられなくって「どうか早く楽にしてやってくれと」
だから、立ち会えるのが幸せかどうかはひとそれぞれなのだと

とはいえ、やはり独りにしてごめん許してと思ってしまう
救いだったのは、ほんとうに眠るように逝ったと思えるような穏やかな顔だったこと

対岸の宮島の鳥居が望める絶好の病室だったので、楽しみにしていた「宮島の花火に間に合わなくて残念だったね」

さて、読経が終わり焼香も済み、住職の法話が始まった
亡き父はいつも本堂右端の時計の下あたりで元旦会の説教を聞いていたそうだ
そして不思議な言葉を聞いた

自分免許

てっきり誰かの造語だと思っていたら、辞書にのる言葉だと後で調べてわかった

「みんな自分こそが正しいとばかり、自分で自分の言動 ・行動に勝手に免許を与え許している」

確かに愛別離苦は辛いことだが、それを悲しんではならないとも
何故なら、善き人(うちは浄土真宗安芸門徒なのでサマリア人でなく仏さんつまり故人/笑)は、残した家族を見守り、正しい道へ導こうとしてくださっているからなのだと