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ぱぴぷぺ_ぽきぷし通信

過去関心 Poughkeepsie の日記(バスケ式+)

「真面目ニ自己ノ本分ヲ尽クセ」

実家の写真の整理をしている

「あぁKちゃんよく来てくれたね~」
ぱっとひろがる笑顔の母に会いに行く時のよい土産だ

今のことは忘れ続ける酷な病だが昔のことはよく覚えている
楽しかった子供時代は特に
そんな思い出を共有する言語がそのセピア色の写真だ

ところで、今回初めて見る両親の若い頃のものが押入れの奥から出てきた

軍服姿の張りつめた顔に比べ、混乱期とはいえ戦後の若き父の抜けるような笑顔が眩しい
食うにも事欠く時代でも「生きられる」ということがどんなに幸せだったかということだろう

それに、話には聞いていたが、戦時中大陸へ電話の架線を教えに行っていた頃と思われる祖父の写真もある
仏壇の遺影以外の写真は初めて見た
彼は8:15職場で被爆し、多くの人がそうだったように命からがら島に逃げ、半月後死ぬ間際に祖母の待つ家にやっと辿り着く
その家は爆心から約2.5kmほどのところ、爆風や火の粉にもなんとか耐えこれらの写真は残った

一方母方の祖父は、戦時中も細々と自転車屋を営んでいたという
爆心に近くその体はおそらく瞬時に炭と化し、全てが灰になった
だからこの溢れんばかりの笑顔の少女の写真は、祖母の疎開先にあって残ったのだろう

「おてんばじゃったけぇこの自転車がうれしくてね、どこへでも行ったんよ」

そういえば、黴染みのある尋常高等小学校の通信簿も出てきた
甲がずらりならんだそのおかげか母が「縣女」に受かったとき、祖父はたいそう喜び赤飯を炊いて近所に自慢して回ったという

と、その裏書に目がとまる
「真面目に自己の本分を尽くせ」

こう書くとぴんとこないな
やはり旧漢字のあの時代だからいいのか

「『うんてれがん』 しよったらつまらんぞっ」っていつも父に叱られてた、その口癖を思い出した