ぱぴぷぺ_ぽきぷし通信

過去関心 Poughkeepsie の日記(バスケ式+)

「まぁ~Kちゃんよう来てくれたね」

二週前に 四十九日も済みようやく一段落ついたように思う。

 

昨夏までは施設で元気に暮らしており、思いついた時に縮景園や美術館へ連れ出すのだが、破顔でたいそう喜んでくれるのが救いだった。「わたしゃ百まで生きるんよ」が口癖だったったね。

 

ところが昨年秋、腰の骨を折って入院。なんとかボルトを埋め暮れにはまた施設に戻れたのでホッとしていたら、年明けにこんどは意識低下の電話連絡。また病院に逆戻り。脳梗塞だが、高齢で脳萎縮がすすみ出血箇所は特定できず手立ては点滴のみ。半身麻痺で発語もほとんどできず意識混濁が続いたが、調子の良いときは私を認識しアイコンタクトできるときもあったのが救い。

 

兄のときは事故で突然のことだったから心の準備はしようもなかった。

父の場合は、このまま家で生活できないほどに弱ったということで、帰省し入院させ療養型に転院し、先は短いにせよ落ち着いた緩和ケア状態だった。そして数ヵ月ぶりに仕事で横浜に戻った矢先に逝った。

 

しかし母の場合を振り返ると、苦しみの中で死にゆく姿を随時確認しながらの日々だったので、本人はもとより身内としても辛いことになった。血中酸素濃度低下とか意識混濁などのたびに呼び出しがかかるので本当に携帯電話を手放せない三ヶ月間。トイレも風呂も枕元にも。鳴るたびにドキッとして心臓に悪いのでしまいには病院からの着信音は専用にした。

 

そいて三月二十日の朝三時過ぎにそれが鳴った。時間帯からして覚悟する。約半時後に駆けつけたときは、既に事切れていたが額にはまだ確かな温もりがあった。前の日の昼に見舞ったときは眠っていたので、あれが別れとなった。

 

しかしこれでようやく母も楽になれたのだ。良かったね。

今年は叶わなかったけど昨年の川土手の桜はいつもどおり見事だったよね。

ありがとう。

 

 

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